「がん」カテゴリーアーカイブ

早期発見で胃がんが見つかり助かった先輩

もう10年程前のことになるのですが、会社の先輩が早期発見で胃がんの摘出手術をして、事なきを得た話です。
先輩は、いつも精力的で仕事もバリバリの人でした。
しかし、ある日、暗い顔で出社をしてきました。
理由は、年1回の会社の健康診断で胃に影が映っていて、胃がんの兆候があったからです。
がん治療の最新情報を調べたり病院で再検査を受けたところ、胃がんで摘出手術をしなければならないことが判明したのです。
仕事の忙しい人でしたが、2週間後には入院をして手術をしなければなりません。
それでも入院期間は約1ケ月。
緊急でしたので、業務の引き継ぎもそこそこに行い、入院されました。
2週間程経ってから病院にお見舞いに行きました。
手術は無事に終わり、結果はよかったのです。
退院後も定期的に状況検査をする必要はあったのですが、摘出手術で胃の半分を失ったとはいえ、会社の健康診断で早期発見できたことが幸いしたのです。
胃がんは発覚した当初は、さすがに元気な先輩も滅入っていましたが、退院後に言っていることは
「早く発見できて手術に移ったことは幸だったよ。」
がんでは、早期発見えあれば問題ないとよく聞きますが、この時は本当にその通りだと感じたものです。

子宮頸がん検査の経験から検査の大切さと定期検診の重要性を認識

5年前に子宮頸がん検査を受けました。この時点で精密検査が必要だということで、再度検査を受けることになりました。その結果、中程度の異型細胞だということがわかりました。精密検査はかなりの痛みが伴っていて、出血もありました。事前に痛みと出血があるということは説明で聞いていたので心の準備はしていましたが、それでも予想を上回る痛みでした。

とはいっても、中程度の異型細胞の段階で分かったことは大きな意味があります。出血に関しては、患部にガーゼを厳重に詰めるので、検査後は一安心しながら過ごせました。

子宮頸がん検診で引っかかったときの回の検査では、既に痛みがありました。今までは全く痛みなど感じたこともなかった子宮頸がん検査でしたが、精密検査が必要だと言われたときは、綿棒のようなものでこすり取るだけで強い痛みがありました。

異型細胞だと分かってからは、三ヶ月に一度のペースで子宮頸がん検査をしています。先生から聞いた話では、元の細胞に戻ることもあるのでという話も聞いていたので、出来る限り健康に戻る努力をしました。煙草をやめて、パートナーと避妊具の徹底もするようになりました。子宮頸がんウイルスは、避妊具だけでは予防できないという話も散見していますが、ないよりあった方がその他の病気も予防できるので私は避妊を徹底しています。あとは、昼夜逆転生活も改め、夜間の時間帯の職業から昼間の仕事に転職しました。

子宮頸がんワクチンは現在も打っていませんが、それでも努力の成果か、軽度の異型細胞に落ち着いています。軽度の段階となると、検査で使う綿棒の感触には痛みも何も感じないです。

私は実際中程度の異型細胞まで進んでいた過去があるので、この経験から言えるのは、ある程度まで進行していると、違和感があるとか痛みを強く感じる機会が増えるようになります。だから、行為中に痛みを感じるようになったり不正出血が見られたりする場合や、いつもと違うことが少しでもあれば、早めに検査をした方がいいです。

看護師さんから聞いた話では、子宮頸がんの進行速度はかなりゆっくりだということなので、気になる症状がある方は、慌てずに落ち着いて検査してみてください。私も中程度までいきましたが、生活改善によって、軽度の異型細胞になったので今後も引き続き健全な生活を続けていきます。

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治療後も検査の継続を

 8年ほど前、父が癌になりました。悪性の肺癌でしたが、幸いなことに早期の発見だったため、手術、抗癌剤治療を行い、現在も元気でいます。
手術で腫瘍を摘出し、手術をしても取り切れなかった癌細胞を抗癌剤治療で無くすという方針でした。抗癌剤は体の免疫力が衰えるため、虫歯の治療や、怪我をしないように気を付ける必要がありました。
 抗癌剤治療の後も、三か月に一度、病院で検査をしています。一般的には治療後、5年間は検査をし、その後は再発の心配がないと考えるそうですが、担当医の方針で現在も検査は続けています。昨年、癌が再発した可能性があると言われたときは気が気ではなかったですが、担当医が信頼できるので、きっと大丈夫と思うことができました。その後の検査で癌でないことも分かりましたが、治療が終わっても検査を継続する風潮は広まったほうが良いと思います。また、父は現在も生きていますが、そうでない可能性もたくさん考えました。その際、担当医が信頼できるか否かが、後悔に繋がると思います。

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これからの肺がんの治療について期待したいこと

“家内が肺がんの診断をされてから1年が経ちます。ステージ4で背骨や骨盤にも転移が見られたため、残念ながら外科手術もできず、たまたまがんの遺伝子の構成上、分子標的薬が使えたので今はそのおかげで顔の症状も小康状態を保っています。肺がんの治療に関しては、漢方での治療や温熱療法を、さらには様々な民間療法が知られています。
私と家内もセカンドピニオンも含め色々な事を考えましたが、本人の思いもあり今、お世話になっている病院の標準療法をベースにした治療を続けようと言うことにしました。
標準的な療法以外で特別な治療をするにあたっては、それなりにリスクを伴うこともあり、それよりも一般的な療法で効果を見た方が家内にとっては納得いくというのが結論です。
もちろん、投薬に関係ないような野菜の積極的な摂取やお茶の利用に関しては取り入れていますがそれ以外で投薬に関するようなものは利用していません。
今後も同じ方針で肺がんと戦っていくつもりにしています。

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癌と闘ったおばあちゃん

私のおばあちゃんは子宮がんでした。
それは40代くらいの時の話だったようです。
私もそのことは全然知らなかったくらい、おばあちゃんはずっと元気でした。

そして70歳を過ぎたくらいに大腸がんということが判明しました。
どうしておばあちゃんにだけそんなに試練を与えるのか・・・。
大腸がんでも場所が悪かったので、おばあちゃんは人工肛門を付けることになりました。
とてもかわいそうでしたがそれでもおばあちゃんは元気に生きようとしましたし、
癌を患ってからもとても元気でした。

癌でも大丈夫なんだ!!
おばあちゃんの元気な姿に心を打たれて
自分は健康な体なんだから頑張ろうと思いました。

そんなおばあちゃんは癌には勝ったけど、その後心筋梗塞・・・脳梗塞になり
アルツハイマーも患いました。
とても良いおばあちゃんだったのに、なんでおばあちゃんばかりにそんなに試練を与えるのか・・・。
本当に神様はいるのか??悔しい・・・。
悔しくて悔しくて仕方ありません。

おばあちゃんは亡くなってしまいましたが、体をはって私達孫に生きる姿を見せてくれたのかなと思います。おばあちゃんのぶんも私が元気に元気に生きていきたいと思います。

がん治療後に悩まされた意外な後遺症

喉にがん腫瘍ができ、放射線・抗癌剤で治療しました。入院は約1ヶ月で無事退院できたのですが、
その後の後遺症に悩まされました。毛が抜けるより辛かったのは、唾液腺を焼ききったことで唾液が
全く出なくなったことです。
知り合いがお見舞いで食べ物をいろいろ持ってきてくれたのですが、何を食べても全く味がせず、
また飲み込み辛く、食事するのがイヤになりました。
また口内の菌が増殖し、一気に虫歯が増えました。治療時も唾液が出ないことがわざわいして
とにかくむせこむ、その度に治療が中断し時間がかかりました。また一度治療してもまたすぐ
虫歯になってしまうのです。
口臭もキツく、口内洗浄液を持ち歩いてしょっちゅうウガイしなければなりませんでした。
ガムを噛むとすぐどろどろに溶けてしまうので、口にボタンを含んでいました。
徐々に唾液は回復しましたが、医師からは唾液について何の説明もなかったのでこんな
後遺症で散々悩まされるとは思ってもみませんでした。

早期発見出来なかった前立腺癌、術後の様子

現在86歳になる父ががん告知を受けたのは彼が70歳の時でした。
それまで長年泌尿器科で検査を受けていたにも関わらず、突然手術を受けなければならない状態であると言われたのです。

父はその通い慣れたクリニックの医師に不審感を覚えましたが時遅しでした。
総合病院で再検査をし前立腺の摘出手術を受けました。
100%摘出不可能で、1年後定期検査で癌の数値が上がり再び治療となりました。

次は放射線治療を数回に渡って受ける事になりました。
癌はやっつけられたのですが、膀胱周辺にダメージを受け排泄トラブルを起こしていました。
これは相当辛かった様です。
尿が出なかったり、尿路感染を起こしたりしていました。

現在は膀胱が全く機能しなくなり、お腹にストーマを作って腎臓から直接排泄をしています。
これも大変で、洗浄やチューブの交換を定期的にしなければなりません。

そして時々チューブが抜けてしまったり、交換時の感染で緊急受診や入院も定期的に余儀なくされています。
現在は訪問看護師に週3回来て頂いてケアをして頂いてます。
リハビリも週に一度、体力維持の為に行っています。

一番悔やまれる事は、定期的にクリニックで検査をしていたにも関わらず早期発見出来なかった事です。
痛切にセカンドオピニオンの重要さを思い知っている所です。

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病は気から。がんになった父親への見舞い

数年前、父親が喉頭がんを患いました。
常に身体を使う仕事で、60手前になっても体力自慢の父親が、たったひとつの病気で病院のベッドで伏せて寝ている姿は衝撃的な姿でした。
父親自身も自らががんになるとは思っていなかったのか、入院当、久々に見た顔はどこか気力が無く、クマのような身体もかなり小さく見えた物です。

そんな父を支えたであろうことは、とにかく「話しかける」でした。
病は気からと申しますが、手術後に入院する病院に足繁く通い会話をすることで、次第に血色も良くなり、切開した部分の接合も早く、当初予定されていた退院の時期から二週間も早く退院することになりました。
がん治療を専門とする病院の多くは「ホスピス」と言う終末医療施設が付き纏い、死の臭いが染み付いた雰囲気があります。
自分の弟妹たちも仕事の合間を縫って訪れていたのか、病室には彼らの置いていったと思われる本や果物がたくさんありました。
孤独で病と戦うことは想像を絶するほど気力と体力を削ぎます。
ですので、お身内の方ががんにかかった際には積極的に話しかけ、気持ちを高めて上げてください。
医療の専門家ではない我々家族ができる最大の療養とはこうした見舞いを根気強く行うことだと自分は思っています。

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切れ痔じゃないかも、その血便。やってよかった大腸内視鏡検査

「血が出た」
「便がなんとなく細い気がする」
排便後、夫が言っていた事がありました。ですが、
「きっと辛いものを食べたからだ。」
「便が細い時もあるよね。」
「…切れ痔かも…」
そんな風に、病気ではない理由を見つけて、自分の中で病気を否定していました。
その後血便は続かず、前年大腸がん検査(便潜血検査)では異常もなかった事もあり、大きな病気を疑う事はありませんでした。それでも、
「50歳を超えているのだから、一度ちゃんと調べてもらおうよ。」
「何もなければ、それでもっと安心が出来るから。」
そう、安心を得る為に検査を後押しし、病気を発見する事となりました。
直腸がんでした。
今でも思います。あの時、検査をしていなかったらどうなっていただろう?と。
血便が続けばおかしいと思うかもしれませんが、それが起こるとは限りません。
実際見つかった腫瘍は、素人目にも大きく見えましたが、出血する事はあまりなかったですし、もっと腫瘍が大きくなって腸管を埋めるくらいになるまで、異常だと思わなかったかもしれません。
ここまで大きくなるのに6年くらいと言われた記憶があるので、後2〜3年は放置されていた可能性もあり、そうなった時には、既に手遅れだったという事も…
大腸がんの検診は、その前処理にとても手間がかかり、加えてお尻からカメラを入れるとなると、検診を躊躇してしまいますよね。
ですが、こんな風に大病の発見があるかもしれません。
思い切って検診を受ける事が大切だと、実感した時でした。

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がんの告知いろいろ

実父と義父が共にがんの告知を受けました。実父は、12年前に胃がんの告知を受け、余命半年と医師に言われました。どうする事も出来ず、父を見守り続け、半年後に亡くなりました。なんとあっけなかった事か。また医師の余命宣告は、なんと的確な事かと驚きと畏怖の念を抱いた事を今でも覚えています。娘として見守るしかない中、一言々の言葉の重みがあり、悔いなく父と対話ができたと今でも思っています。
義父は、先月前立せんがんと告知をされました。しかしながら、高齢でもあり、進行は遅いという事で、手術もせず、治療も月に2度の注射のみ。クオリティーオブライフを優先するとの事です。
義父を見ていると、日々悔いのない様に楽しく過ごしており、まさにがんと共に生きているという様に見受けられます。がんにもいろいろなタイプがあるのだと実感しております。義父と共に過ごす時間がいつまで続くかわかりませんが、楽しく穏やかに過ごしていきたいと思っています。

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