月別アーカイブ: 2016年2月

治療後も検査の継続を

 8年ほど前、父が癌になりました。悪性の肺癌でしたが、幸いなことに早期の発見だったため、手術、抗癌剤治療を行い、現在も元気でいます。
手術で腫瘍を摘出し、手術をしても取り切れなかった癌細胞を抗癌剤治療で無くすという方針でした。抗癌剤は体の免疫力が衰えるため、虫歯の治療や、怪我をしないように気を付ける必要がありました。
 抗癌剤治療の後も、三か月に一度、病院で検査をしています。一般的には治療後、5年間は検査をし、その後は再発の心配がないと考えるそうですが、担当医の方針で現在も検査は続けています。昨年、癌が再発した可能性があると言われたときは気が気ではなかったですが、担当医が信頼できるので、きっと大丈夫と思うことができました。その後の検査で癌でないことも分かりましたが、治療が終わっても検査を継続する風潮は広まったほうが良いと思います。また、父は現在も生きていますが、そうでない可能性もたくさん考えました。その際、担当医が信頼できるか否かが、後悔に繋がると思います。

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これからの肺がんの治療について期待したいこと

“家内が肺がんの診断をされてから1年が経ちます。ステージ4で背骨や骨盤にも転移が見られたため、残念ながら外科手術もできず、たまたまがんの遺伝子の構成上、分子標的薬が使えたので今はそのおかげで顔の症状も小康状態を保っています。肺がんの治療に関しては、漢方での治療や温熱療法を、さらには様々な民間療法が知られています。
私と家内もセカンドピニオンも含め色々な事を考えましたが、本人の思いもあり今、お世話になっている病院の標準療法をベースにした治療を続けようと言うことにしました。
標準的な療法以外で特別な治療をするにあたっては、それなりにリスクを伴うこともあり、それよりも一般的な療法で効果を見た方が家内にとっては納得いくというのが結論です。
もちろん、投薬に関係ないような野菜の積極的な摂取やお茶の利用に関しては取り入れていますがそれ以外で投薬に関するようなものは利用していません。
今後も同じ方針で肺がんと戦っていくつもりにしています。

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癌と闘ったおばあちゃん

私のおばあちゃんは子宮がんでした。
それは40代くらいの時の話だったようです。
私もそのことは全然知らなかったくらい、おばあちゃんはずっと元気でした。

そして70歳を過ぎたくらいに大腸がんということが判明しました。
どうしておばあちゃんにだけそんなに試練を与えるのか・・・。
大腸がんでも場所が悪かったので、おばあちゃんは人工肛門を付けることになりました。
とてもかわいそうでしたがそれでもおばあちゃんは元気に生きようとしましたし、
癌を患ってからもとても元気でした。

癌でも大丈夫なんだ!!
おばあちゃんの元気な姿に心を打たれて
自分は健康な体なんだから頑張ろうと思いました。

そんなおばあちゃんは癌には勝ったけど、その後心筋梗塞・・・脳梗塞になり
アルツハイマーも患いました。
とても良いおばあちゃんだったのに、なんでおばあちゃんばかりにそんなに試練を与えるのか・・・。
本当に神様はいるのか??悔しい・・・。
悔しくて悔しくて仕方ありません。

おばあちゃんは亡くなってしまいましたが、体をはって私達孫に生きる姿を見せてくれたのかなと思います。おばあちゃんのぶんも私が元気に元気に生きていきたいと思います。

がん治療後に悩まされた意外な後遺症

喉にがん腫瘍ができ、放射線・抗癌剤で治療しました。入院は約1ヶ月で無事退院できたのですが、
その後の後遺症に悩まされました。毛が抜けるより辛かったのは、唾液腺を焼ききったことで唾液が
全く出なくなったことです。
知り合いがお見舞いで食べ物をいろいろ持ってきてくれたのですが、何を食べても全く味がせず、
また飲み込み辛く、食事するのがイヤになりました。
また口内の菌が増殖し、一気に虫歯が増えました。治療時も唾液が出ないことがわざわいして
とにかくむせこむ、その度に治療が中断し時間がかかりました。また一度治療してもまたすぐ
虫歯になってしまうのです。
口臭もキツく、口内洗浄液を持ち歩いてしょっちゅうウガイしなければなりませんでした。
ガムを噛むとすぐどろどろに溶けてしまうので、口にボタンを含んでいました。
徐々に唾液は回復しましたが、医師からは唾液について何の説明もなかったのでこんな
後遺症で散々悩まされるとは思ってもみませんでした。

早期発見出来なかった前立腺癌、術後の様子

現在86歳になる父ががん告知を受けたのは彼が70歳の時でした。
それまで長年泌尿器科で検査を受けていたにも関わらず、突然手術を受けなければならない状態であると言われたのです。

父はその通い慣れたクリニックの医師に不審感を覚えましたが時遅しでした。
総合病院で再検査をし前立腺の摘出手術を受けました。
100%摘出不可能で、1年後定期検査で癌の数値が上がり再び治療となりました。

次は放射線治療を数回に渡って受ける事になりました。
癌はやっつけられたのですが、膀胱周辺にダメージを受け排泄トラブルを起こしていました。
これは相当辛かった様です。
尿が出なかったり、尿路感染を起こしたりしていました。

現在は膀胱が全く機能しなくなり、お腹にストーマを作って腎臓から直接排泄をしています。
これも大変で、洗浄やチューブの交換を定期的にしなければなりません。

そして時々チューブが抜けてしまったり、交換時の感染で緊急受診や入院も定期的に余儀なくされています。
現在は訪問看護師に週3回来て頂いてケアをして頂いてます。
リハビリも週に一度、体力維持の為に行っています。

一番悔やまれる事は、定期的にクリニックで検査をしていたにも関わらず早期発見出来なかった事です。
痛切にセカンドオピニオンの重要さを思い知っている所です。

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病は気から。がんになった父親への見舞い

数年前、父親が喉頭がんを患いました。
常に身体を使う仕事で、60手前になっても体力自慢の父親が、たったひとつの病気で病院のベッドで伏せて寝ている姿は衝撃的な姿でした。
父親自身も自らががんになるとは思っていなかったのか、入院当、久々に見た顔はどこか気力が無く、クマのような身体もかなり小さく見えた物です。

そんな父を支えたであろうことは、とにかく「話しかける」でした。
病は気からと申しますが、手術後に入院する病院に足繁く通い会話をすることで、次第に血色も良くなり、切開した部分の接合も早く、当初予定されていた退院の時期から二週間も早く退院することになりました。
がん治療を専門とする病院の多くは「ホスピス」と言う終末医療施設が付き纏い、死の臭いが染み付いた雰囲気があります。
自分の弟妹たちも仕事の合間を縫って訪れていたのか、病室には彼らの置いていったと思われる本や果物がたくさんありました。
孤独で病と戦うことは想像を絶するほど気力と体力を削ぎます。
ですので、お身内の方ががんにかかった際には積極的に話しかけ、気持ちを高めて上げてください。
医療の専門家ではない我々家族ができる最大の療養とはこうした見舞いを根気強く行うことだと自分は思っています。

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切れ痔じゃないかも、その血便。やってよかった大腸内視鏡検査

「血が出た」
「便がなんとなく細い気がする」
排便後、夫が言っていた事がありました。ですが、
「きっと辛いものを食べたからだ。」
「便が細い時もあるよね。」
「…切れ痔かも…」
そんな風に、病気ではない理由を見つけて、自分の中で病気を否定していました。
その後血便は続かず、前年大腸がん検査(便潜血検査)では異常もなかった事もあり、大きな病気を疑う事はありませんでした。それでも、
「50歳を超えているのだから、一度ちゃんと調べてもらおうよ。」
「何もなければ、それでもっと安心が出来るから。」
そう、安心を得る為に検査を後押しし、病気を発見する事となりました。
直腸がんでした。
今でも思います。あの時、検査をしていなかったらどうなっていただろう?と。
血便が続けばおかしいと思うかもしれませんが、それが起こるとは限りません。
実際見つかった腫瘍は、素人目にも大きく見えましたが、出血する事はあまりなかったですし、もっと腫瘍が大きくなって腸管を埋めるくらいになるまで、異常だと思わなかったかもしれません。
ここまで大きくなるのに6年くらいと言われた記憶があるので、後2〜3年は放置されていた可能性もあり、そうなった時には、既に手遅れだったという事も…
大腸がんの検診は、その前処理にとても手間がかかり、加えてお尻からカメラを入れるとなると、検診を躊躇してしまいますよね。
ですが、こんな風に大病の発見があるかもしれません。
思い切って検診を受ける事が大切だと、実感した時でした。

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がんの告知いろいろ

実父と義父が共にがんの告知を受けました。実父は、12年前に胃がんの告知を受け、余命半年と医師に言われました。どうする事も出来ず、父を見守り続け、半年後に亡くなりました。なんとあっけなかった事か。また医師の余命宣告は、なんと的確な事かと驚きと畏怖の念を抱いた事を今でも覚えています。娘として見守るしかない中、一言々の言葉の重みがあり、悔いなく父と対話ができたと今でも思っています。
義父は、先月前立せんがんと告知をされました。しかしながら、高齢でもあり、進行は遅いという事で、手術もせず、治療も月に2度の注射のみ。クオリティーオブライフを優先するとの事です。
義父を見ていると、日々悔いのない様に楽しく過ごしており、まさにがんと共に生きているという様に見受けられます。がんにもいろいろなタイプがあるのだと実感しております。義父と共に過ごす時間がいつまで続くかわかりませんが、楽しく穏やかに過ごしていきたいと思っています。

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白血病に勝った甥っ子の強さ

私の甥っ子は2歳の時に【白血病】と診断されました。
2歳という小さい子供がなんでこんなに過酷な病気にならなければいけないのか・・・。
何も悪いこともしていない甥っ子、もっと悪いことばかりしている大人がたくさんいるのに
どうして甥っ子なのかそんなことばかり考えていたものです。

甥っ子の白血病は移植をしなくても良く抗がん剤だけでの治療方法でした。
薬で癌細胞を死滅させると言う治療方法。
白血病に関する知識も全くなく、白血病=死に結びつけてしまっている私がいました。
家族みんなで戦い、何よりも小さい体で白血病と闘った甥っ子。
薬が辛くて泣く・・・副作用の吐き気で泣く・・・
まだあまり意思表示が出来ないのが辛く、姉もとても苦労していました。
みんなの頑張りで甥っ子は見事完治。
そんな甥っ子は今は18歳になりました。
怖い病気だと思っていましたが、こんなにも元気になってくれること、
白血病と聞くと怖いイメージがありますが、元気になることもあります。
運が良かったのかもしれませんが、本当に感謝しても感謝しきれません。
これからも甥っ子がずっと元気でいられるように私は叔母としてただただ願うばかりです。

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突然、癌と告知をされて

私は60代の主婦です。癌と告知をされたのは、7年前でした。
町の検診を毎年受けており、いつも異常がなくきてました。しかし、その年の検診で「喉にしこりが触れるから精査して欲しい」と言われたのです。痛みもないため、精査しても何も無いだろうと安易に考えてました。
後日、結果を聴きにいくと甲状腺癌と告知されました。癌と聴いただけで頭が真っ白になり、そんな結果が出るとは思ってもみなかったのでショックでした。病院から運転して帰ったのですがどのように帰ったか覚えてません。
帰宅後、家族に先生から話されたことを覚えている限りで話しました。娘は「ママがかわいそう」と泣いてくれ、主人は黙って背中をさすってくれました。
その日以降、私が塞ぎ込んでいて家事が出来ないでいると家族が進んでやってくれるようになりました。
幸い、私の甲状腺癌は手術で完治出来るもので甲状腺自体を半分以上残せるためホルモン剤の常用はないとのことでした。
首に手術の跡が残り始めは隠していましたが、今では隠さずに過ごしてます。家族に支えられた証と私と同じ境遇の人に会ったら、体験したことを伝えて行きたいから。

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